第一章:彼女は流架さん

■ようこそ天衣邸へ■


 壁、それは時に人を混乱に陥れる。
 何事にも動じない者が、ふと目の前に現れた壁に、なすすべも無く翻弄されることもある。
 壁、それは時に人を原点に戻す。
 目の前に壁を感じ、ふと後ろを振り返ったとき、人は今まで歩んできた道の尊さを再認識させられる。
 壁、壁、壁。
 何事においても、それは立ちふさがり、乗り越えなければその先にあるものは決してつかむことは出来ない。
 そんなことを考えながら、敦也はポツリと呟いた。
「流架の家ってどこだ?」
「おっかしいなぁ、そろそろ見えてくるはずなんだけど……」
 10月31日のハロウィンパーティーもといプリスマティックプレイヤー限定パーティーから一週間後の日曜日。
 約束した流架の屋敷へ行くために、敦也は二週連続で自分の車を出したわけだ。助手席に遥を乗せ、知らない道を遥の案内を頼りに進んでいた。メールで住所を聞いたので道に迷う心配は無かったが、知らない道を走るので一応のガイド役のようなものは――たとえ遥でも――必要なのだ。
 そして今、流架から送られてきた屋敷の住所のあたりにきたのだが、行けども行けども屋敷は見えてこない。代わりに左手に見えるのは“ここは日本か?”的な草原と丘。右手に見えるのは先ほどの思考を生んだ高い壁――それもレンガ造りのしっかりとしたものだ。
 遥いわく右手の壁は、このあたりにある、住所が関係ないほどに巨大な建物のものらしい。
「たぶん公共施設とかだよ」
 助手席で地図を見ながら、遥は続ける。
「外観からしてきっとごみ処理場か、じゃなきゃ浄水場だね。ヨーロッパとかだとこういう施設も凝っててさ、設計士に芸術家を呼ぶことも多いんだよ。町の景観がどうのって問題にもなってるけどね」
「そうか……なぁ、まさかこれが流架の屋敷ってことは無いよな?」
「まっさかぁ。こんなに大きな屋敷、外国ならともかく日本じゃありえないよ」
「そうか」
 まぁさすがに金持ちだとしても、インターネットの、しかも庶民の娯楽であるオンラインゲーム“プリスマティック”に参加しているほどだ。そんな想像を超越したような金持ちではないだろう。
 そう思いながら更に車を走らせること数分。前方に壁の終わりが見えてきた。門だ。
 門はレンガの壁において見劣りしない、いや壁よりも明らかに金がかかっている感じのする物だった。
 日本は日本でも、大正とか明治とかの時代に建てられたような、西洋文化を上手く取り込んでいる雰囲気。鉄製だが手入れが施しつくされていて、錆びるどころか一層深みを増している柵。そして一番目を引く、まるでここを通る全ての物に対して自己主張しているような、そんな印象を受ける表札。
 そう、表札。公共施設にそんなものはない。
 敦也は直感した。ここは自分のような一般人が来てはいけない場所だった、と。
 帰るべきかもしれないが、それでは今日ここへ来た意味そのものがなくなってしまう。
 しかし進んでしまってはもう後戻りできないような気もする。
 どうするべきか、考えた。が、結局考えのまとまらないままに直進を続けた結果、半ば予想通りの文字が目に飛び込んできた。
『 天 衣 邸 』
 敦也は車を停め、深呼吸をする。
 隣にいる遥は珍しく静かなままだ。いつもなら真っ先に天地をひっくり返すような驚きを見せるのに。
 まだ気づいていないのか……否。
 敦也は気づいた。遥は表札の文字に気づいて、固まっているだけだったと。
「おい遥!起きろ!」
「……あっちゃん……僕はどこ?……ここは誰?」
「しっかりしろ!文法とか以前に一人称まで変わってるぞ!」
 焦点の合わない目をした遥を揺さぶって、ついでに二・三発ビンタを喰らわせる敦也。
「あ、ありえないよ。日本でこんなに大きな屋敷なんて、石油王だってびっくりだよ」
「確かにありえない。でも実際にそれが目の前にあるんだ。遥、目に見えるものが真実だ。とりあえず車を降りるぞ」
 言って敦也は車のキーを抜いて、ドアを開けて外へ出た。左手に見える草原のせいか、やたらと空気が澄んでいたことに気づかされる。
 その清々しく、そして少し肌寒い11月の空気を肺一杯に吸い込んで、再度深呼吸をする。
「はぁ……」
 深呼吸はため息へと変化したようだった。
「ねぇあっちゃん、どうする?メロンとか持ってきたほうが良かったかな……?」
 遥も車を降りたらしく、冷や汗を流しながら敦也を伺っている。
 確かに彼の言葉は的を得ていた。敦也も遥も手ぶらでやってきたのだ。
 しかし冷静に屋敷の大きさを考えてみると、そこいらのスーパーで一個千円ほどの安いメロンなど持ってこれるレベルの金持ちではないことは分かる。
 となると、案外なにも持ってこなかったのも正解かもしれなかった。
「ちがうちがう。今重要なのはお土産のことじゃない」
 そう、今重要なのはお土産のことではない。それ以前の問題だ。
 この屋敷に、お邪魔してよいものか否か。
 下手をすると、本当に邪魔をしてしまう可能性もある。
「あっちゃん今悩んでるね」
「あぁ。どうっしょ〜もないくらいに悩んでる」
「屋敷に入るか、入らないかの選択だね」
「あたりだ」
「じゃあいつもので決めればいいじゃん」
 いつもの……それの意味するのは、敦也のある種の決め事のようなもののことだ。
 敦也はジーンズのポケットに手を入れる。今更ながらデニムのラフなジーンズを穿いてきた事に後悔してしまうが、それは一旦頭の片隅へ追いやってしまう。
 ポケットに入っていたのは、どこにでも売っている普通のサイコロだ。
 困ったとき、悩んだとき、何かを決めかねるときは、敦也はサイコロでそれを決定することにしている。
 これはギャンブルに強い敦也ならではの決定方法といえる。
「しかしなぁ……」
 敦也は手に持ったサイコロを眺める。
 今までだって、かなり重要なことをこれで決めてきた。しかし、今回は選択によっては第三者にも迷惑をかける可能性もある。
 そんなことをこれで決めていいものか……
 決めるとしたら偶数か奇数。偶数なら割り切れるということで屋敷に入り、奇数なら入らない。そんなところだろうが……
 しかし割り切れる割り切れないの話でもなさそうだ……
 敦也がサイコロを見つめたまま、そんな思考をめぐらせていた、そのときだった。
「「「「「「いらっしゃいませ!」」」」」」
「――ッ!?」
 いつの間にか開いていた門から、赤、黄、黄緑、紫、黒、白色と、正に色とりどりの着物を着た数人の女性が、いっせいに挨拶をしてきたのだ。
 彼女達の目線がこちらに向いているということは、やはり自分達に対して言ってきたのだろうと認識する敦也。
 驚いて手に持っていたサイコロを落としてしまったが、そんなことを気にしている状況ではない。
「あの、えっとミー達は流架さんのお誘いでこちらまで伺った次第で……」
「存じております。どうぞ屋敷の中へ。お車はこちらで移動しておきます。カギを拝借……」
 真ん中にいる黒い着物の女性がそう言って、他の女性に身振りで指示を出す。その無駄の無い動きからも、彼女がこの屋敷で働いていて、それなりの地位があるということだと分かる。
 赤い着物の女性が言葉の出ない敦也からカギを預かり、門を通り過ぎて屋敷の壁に沿って車を走らせていった。裏門あたりが駐車場なのだろうと敦也は考える。
 そして黒い着物の女性と紫色の女性、そして白色の着物の女性の三人が敦也と遥の前に立ち、屋敷の中へ先導する。
 門をくぐっても、屋敷の入り口まで割と距離があった。
 歩いて移動できる距離だが、それでもここは日本だということを忘れさせるような距離だ。
 ふと黄緑色と黄色の着物の女性は?と思った遥が振り返ると、彼女達はゆっくりと門を閉めているところだった。
「機械任せの用心は旦那様がお嫌いなもので……」
 振り向きもせずにそう言ってのけるのは、前を歩く黒い着物の女性。なんで見てないのに分かるんだよ、と敦也は心の中で呟いた。
 言われた遥はそんなこと気にもしていないのか、それとも気づいていないのか、ただ「へぇ〜」と曖昧な相槌を打つだけだった。
「あ、そうだサイコロを」
 ここでようやく、敦也は彼女達に驚いて落としてしまったサイコロのことを思い出した。
 まぁ普通なら帰りに拾うなり、新しいものを買うなりすればいいだけの事なのだが、無いと落ち着かないのが敦也だった。
 しかも落とした場所がドでかい屋敷の門の前となると、なんとなく気まずい。
「すみません、ちょっと落し物をしてしまったので――」
 戻ります。と言いかけたが、前を歩く女性3人が立ち止まったため、一旦言葉を切る。
 すぅっと振り向いたのは、敦也側つまり右側を歩いていた白い着物を着た女性だった。
 絹のような肌、とはきっとこんな肌のことだ。そんな感じのする白い着物の女性は、何も言わずに握った右手を敦也に差し出す。
 そして彼女はその手をゆっくりと開いた。
 白い手のひらには、サイコロがひとつ。3の面を上にして乗っていた。
「え、拾うところなんか……」
 敦也はポツリと呟いて彼女を見るが、白い着物を着た彼女はやはり何も言わずに、目を閉じて軽く礼をするだけだった。
 仕方なく敦也は、彼女の手からサイコロを受け取り、ポケットにしまった。
 同時に、とんでもないところへ来てしまったと思った。
(割り切れねぇな……)
 誰にも聞こえないよう、敦也は心の中だけでポツリと呟いた。


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