第零章:パーティーの夜

■ はじまりのはじまり ■

 10月31日18時15分、菜月家では一人の男が妖しげな服を大急ぎで着ていた。肩に届く程度にのばした黒髪に、少し吊り上った目。肌の色は男としては白いほうだが、真っ黒な帽子にローブに隠されてその色は顔と手ぐらいしか見えていない。
 腰には短めの杖をさして、ペンタグラムのネックレスをかけている彼は、どうやら魔術師の出で立ちらしい。
 彼は着替えが終わると、今度は財布や携帯電話、そしてなぜかクリスタルでできたドクロなどをコウモリをかたどったカバンに詰めてゆく。
「遥……お前、何してんだ?」
 傍らで見ていた女性がそう呟く。腰まで届きそうな長い茶髪にタンクトップ姿、歳の割には若く見える、という表現が似合いそうな彼女は、これでも怪しげな男――菜月 遥(なつき はるか)の母親だ。彼女はテーブルについて、慌てふためく遥を眺めながら、片手に持ったビール瓶をぐいっと上へ持ち上げる。何の儀式でもない。ただビールを飲んでいるだけだ。
 彼女の脇の5本もの空瓶を見る限り、相当できあがっているようではあるが。
「何って、今日は7時半からプリスマティックのハロウィンパーティーだって言ってたじゃないか」
 カバンに一通り荷物を詰め終わると、遥はドタドタと足音を響かせながら、玄関へ向かう。
 狭い部屋ではないが、かといって広いわけでもないアパートの一室では、普段は階下の住民への迷惑を考えるところだが、生憎今の彼にはそんな余裕はなかった。
 体いっぱいに急いでいることを表現しながら、遥は靴(先のとがった革靴だ)を履いて、それから母親に向き直った。
「じゃあ、今日はもしかしたら帰ってこないかもしれないから、戸締りだけはちゃんとしといてね」
「おう。まかせろ」
 いつの間にか7本目のビール瓶に口をつけながら、母親は返事をした。
 そしてそれを聞くや否や、遥は大慌てで玄関を飛び出した。
「……」
 一人残された母親は、ビール瓶に口をつけながら、ふと呟く。
「今日はオムライスにしようかと思ったんだけどなぁ」
 ふと見た外はもう日が暮れて、紺色の闇が少しずつ迫っていた。
「ま、どうせチンだけどな」
 きひひっと笑いながら、彼女はまたビール瓶に口をつける。
 今日も菜月家は平和だった。


「あっちゃんゴメン!待った?」
「当たり前だろうが」
 駅前の銅像、土下座をしている侍のようなその銅像の前に走って駆けつけた遥だったが、言葉をかけた男性からは容赦ない突込みが跳ね返ってきた。
 ハロウィンとはいえ、西洋でもない日本の街角には仮装した人間は少ない。そんな中、かなり派手に魔術師に仮装した遥は、当然といえば当然だが、かなり目立っていた。
 銅像の前で待っていた茶髪の男性――「あっちゃん」と呼ばれた――はその本名は間丸 敦也(かんまる あつや)という。彼は近づいてきた遥の頭を適当に叩いてから、言葉を繋いだ。
「社会人のくせに時間にルーズじゃ駄目だろ」
「あはは。社会人って言ってもミーはフリーの通訳だからね。仕事は結構フレンドリーにやってるんだよ」
「ルーズなのは否定しないのかよ」
 あきれた顔で敦也が肩をすくめる。遥と違って、彼の黒いスーツに赤いネクタイという格好は、ふとすれば普通に街中にいそうなサラリーマンのようだが、口の中にはたまたま持ち合わせていたキバ(歯にかぶせて使うもの)が覗いている。要するに吸血鬼の仮装だ。
「で、お前本当に車の運転できるんだろうな?」
「任せてよ!ほら、免許書だってあるんだよ」
 自慢げに財布から免許証を取り出す遥だったが、生憎敦也には分かっていた。運転が下手だろうがなんだろうが、そこそこなら免許は取れるということは。
 とはいえ彼の運転を否定してしまってはこれからの予定が狂ってしまうので、敦也はとりあえず了承する。
「行きは俺が運転するから、帰りは頼んだぞ。お前は酒飲まないんだよな」
「ミーはお酒どっちでもいい人だからね」
「俺にしてみりゃ理解に苦しむけどな、まぁいいや。早く行こうぜ」
 言うが早いか歩き出した敦也の後を追って、遥も歩きだす。
 時刻は18時45分。車を飛ばせば、パーティーにはギリギリ間に合う時間だった。


『10月31日19時30分から、プリスマティックプレイヤー限定のパーティーを開催します!参加は無料!参加者は参加表明してください!詳細はこちら……http://www.xxxxxxxx.html
 広大なネット世界の片隅。一ヶ月ほど前、オンラインゲーム『プリスマティック』の掲示板に、そんな書き込みがされた。何百人何千人といるプレイヤーの、いわゆる親睦会のようなものだ。
 遥は嬉々としてこのパーティーに参加を申し込み、そして既にそのプリスマティックの中で自分とパーティーを組んでいた敦也も誘った。つまり自分は遥を通してこのパーティーを知ったのだ、と敦也は再度頭の中で確認した。
 確認してから、ぽつりと言った。
「殴っていいか?」
 隣にいた遥は驚いた。だがその答えを出す前に、敦也は拳を固めて、隣にいた遥に振り下ろした。軽快な音など、微塵もしなかった。
「――った!痛いよあっちゃん」
「当たり前だ。痛く殴ったんだからな」
 敦也がここまで怒っているのには、もちろんそれなりの理由があった。理由もなしに彼は人を殴ったりは――あまりしない。
「そりゃ詳細を見て気づかなかった俺にも非はある。でもな遥……
」  パーティー会場を見回して、敦也はため息を漏らす。
 軽くコンサートホールほどの広さのある会場には、何百というプリスマティックプレイヤーがひしめいていた。思い思いにおしゃれをしたり、まったくおしゃれをしなかったり、その装いはさまざまだが、その中の誰も“仮装をしていなかった”のだ。
「そもそもお前が仮装パーティーだとか言うから変な先入観で詳細を見て、勘違いしちまったんじゃねぇか!」
「だ、だって10月31日のパーティーなら、絶対ハロウィンパーティーだって思うじゃん!」
「思うかもしれないが、絶対じゃない!」
 再び遥の脳天に拳骨を見舞いながら、敦也はもう一度、深いため息を吐いた。
「ま、済んでしまったものは仕方がないか」
「なら殴らないでよ……」
 呟く遥の目に、自分の眼光を叩き込む。
 敦也は特にそんなに目立った格好をしているわけではないので、人混みに紛れるのに問題はない。問題は、完全に魔術師に仮装して、更にコウモリ型のバッグを持っている遥と一緒に行動するというところだ。
「……」
 正直なところ、勘弁してほしかった。
 他人だらけの街中でさえ彼と歩くのには相当の覚悟が必要だったのだ。ましてやここはプリスマティックというゲームを通じて接点のある者ばかり。“妙なコスプレイヤーと一緒に歩いていた人”などという認識をされてしまっては、今後のゲームに支障をきたす恐れもある。
「ってことで、俺は適当にお前とは離れたところを歩くから、なんかあったらケータイで電話してくれ」
「えっ!ちょっと、何が“ってことで”なのさ!?あ、ちょっと、あっちゃん!」
 うろたえる遥を残して、敦也はパーティー会場の中心へと歩を進めていった。
 人混みのせいもあって彼はすぐに見えなくなってしまった。
「えっと」
 とりあえずパーティーを楽しもうと、遥は微妙に周囲を見回しながら歩いてみた。
 右手にはいろいろな料理がずらりと並べられている。バイキング形式にしては豪華すぎるほどのものだとは、遥にもすぐに分かる。何々のソテーだとか、何々の何々ソース添えなどといった名称が合いそうな、そんな料理たち。しかも、どれもこれも銀色の皿に盛り付けられていて、かなり本格的に仕上げてある。これで参加費用がタダなのだから、逆に何かを疑ってしまう気さえする。
 なんだか場違いなところに来た気がして、遥は視線を右から左へと移した。
 左手にはパーティーにふさわしい感じの音色を奏でている人たちがいた。今はチェロとサックスとヴァイオリンという組み合わせで演奏しているが、スペースと椅子の数からして、他にも後からかなりの種類の楽器と奏者が出てくることが予想される。
 そんなジャズの音楽に酔いしれながら、一人歩いていく遥に、急にドンと何かがぶつかった。いや、何かではなく、明らかに人だろう。
「あ、ごめんなさい」
「ちょっと、気をつけてよね……って、アンタ何その格好!ハロウィンか何かと勘違いしてんじゃない?」
 ぶつかった少女は、一瞬気を悪くしたようだったが、遥の格好を見てすぐに吹き出した。あははと景気よく笑う彼女に説明するように、遥は言った。
「10月31日といったら、普通ハロウィンだと思うよ」
「思うワケないじゃん。あんた外国人?」
「いや、日本人だよ。でもフリーの通訳だから外交にはしょっちゅう行って――」
「日本人なら日本の風習に従わなきゃ〜。西洋かぶれしててもモテないよ、おにいさん」
 きゃはは、と言いたいことだけ言うと、少女はまた笑いながら人混みをすり抜けて、すぐに見えなくなった。
「……」
 遥は少しの間呆然としてから、再び人混みに向かって歩き出した。


 敦也は迷っていた。
 先ほどから人混みをスイスイすり抜けていくウェイターたち。その手に持っているさまざまな酒のうち、どれを最初に飲むか決めかねているのだ。迷ったときにはサイコロで決めるという彼お得意の決定方法も、テーブルがないところでするのは気が引ける。
 やがて迷った末に、敦也は一杯の赤いカクテルを選んだ。吸血鬼の格好をしているからとかそういうのではなく、すれ違ったときの香りが決定打となった。
 ウェイターはゆっくり進んでいる。混んでいるとはいえ自分のペースで歩けるほどの余裕はあるので、敦也はすぐにウェイターのところへ行き、カクテルに手を伸ばした。
「あら、こんにちは」
 敦也のとったカクテルの、隣にあった青いカクテル。それを取った女性が彼に話しかけた。話し方がゆるいのは、きっと隣同士のカクテルを取った、というだけの理由だろうと、敦也も気軽に挨拶を返す。
「こんにちは」
 体を女性のほうを向いて、敦也はグラスを少し上げる。すると女性も無言で同じようにカクテルを少し上げて、それからつっと一口飲む。染めているのか、栗色のフワフワした髪を綺麗にまとめて、首元にファーのついたドレスを着ている。穏やかで、器の大きそうな瞳を敦也に向けて、彼女は言った。
「素敵な牙をお持ちね、ヴァンパイアさん」
「好きでやってるんじゃない。ダチにダマされたんだ。今日は仮装パーティーだってな」
 あらあら、と彼女は笑った。
「で、そのお友達は?」
「すっげぇ格好してたから、置いてきた」
「あはは、なにそれ」
 本当に可笑しそうに、彼女は笑った。
 そしてまたカクテルを口に運ぶ。
「酒強いのか?」
「ええ、これでもバーテンダーやってるの。だから強いなんてもんじゃないわよ」
 緩く挑発するように、彼女はくいっとカクテルのグラスを空けた。
「俺も酒は好きだ。強いぜ」
 ふふっ、と今度は彼女をとりまく空気が笑った。
 そしておもむろに、女性は敦也の目の前まで迫ってきた。それは本当に、吐息が聞こえるほど近くまで。そこまでくると、彼女は女性にしては背が高いほうだと分かる。
 特に何の反応も見せない敦也に、彼女は少しつまらなそうに微笑みながら言った。 
「動じないのね、こういうの」
「まぁ……結構慣れてるっつーか」
「そう」
 敦也が酒が強いといったのが気にかかったからなのか、それともただの気まぐれだったのか、とにかく彼女は気にする様子もなく、立ち位置を元に戻した。
「そのダチなら死ぬほど驚いて、3メートルくらいは下がると思うけどな」
「あはは。会ってみたいわね、あなたのお友達にも」
「呼ぶか?」
「ううん、今はいいわ。この後また運命が交われば、それはそれで面白いと思わない?」
 その言葉を最後に、彼女は背を向けて、人混みの中へと歩き出した。
 空になったグラスをすれ違いざまにウェイターのトレンチに乗せ、それとと同時に器用に新しいカクテルを手に取る。
 指先が踊ったかと思った一瞬の後、彼女は人混みにまぎれていった。

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